「お天道様は見ているよ」と
よく云うが
一番見ているのは自分自身
嘘をついたことも
ズルをしたことも全部
自分が見ている
「そんなわけない」という
あなたは正しい
仰る通りに「そんなわけない現実」が訪れるだけなのだから
逆も然り
我々は誰もがみなそれぞれの
【思った通りな世界】を生きている
だれもがみな
見たいようにしか世界を見ていない
ここではない世界に行きたいのなら
これまでと同じようなものの見方や
考え方をしていてはいけない
失敗の数は、強みでしかない。
「意思と志」それ次第
人間であることから逃げたくなることは、みんなある。
そんなときは
お休みをとってたっぷり眠ろう
終わりがあるから始まりが存在し、死があるから生という概念が存在できる。
どちらか一方だけということはなく、形あるものはすべていつかかならず壊れるし生まれるから死ぬのだし死があるから生きられる。
わたしもあなたも
大きな砂浜の砂粒ひとつでしか
土砂降りの雨粒ひとつでしか
運よく渡れたシナプスのひとつでしかない
所詮そんなもんでしかない
海の生き物は陸では生きられず
陸の生き物は海では生きられない
あっち側からすればこっちは死の世界
こっち側からすればあっちが死の世界
だから
波打ち際は、その「狭間」
異世界への入口(出口)ともいえる
立ち位置が違えば
視点が変われば
どちら側も
生の世界にも死の世界にもなりうる
ともすれば
善も悪も生も死も
それほどの違いはないのかもしれない